2008年07月08日

医療の現在 病と呪い

親の心子知らずという言葉がありますが、前回書いた、少しでも長生きしたい、少しでも不快な思いはしたくないというヒトの“こころ”に身体はいつも応えてくれるとは限りせん。
例えば、花粉症の問題ですが、スギ花粉を抗原(ヒトにとっての敵)と記憶する、リンパ球ができてしまい、新たにスギ花粉が飛来すると、一連の免疫応答のスイッチが入ってしまいいくとこまでいってしまう訳です。これが寄生虫のようなヒトにとって不利なモノに対して発動されたなら、ヒトにとって得な免疫応答だという訳です。
事実、寄生虫にしろ、黄色ブドウ球菌にせよこうした、ヒトに悪さをしていた、微生物が、とても少なくなった現代の豊かな清潔な社会環境が、アレルギー性疾患の激増の背景としてあるのではないかという説も有力です。
こうした生体反応や生命現象は、切実なヒトの思いや欲望とは、関係なく一定の手順で粛々と進行していくのです。
こうした観察を可能にしたのは“病とは、ある機械的原因に対して反応する諸組織の、ある複雑な因果的な動きにすぎない”という、醒めた、中立的な病気観で、これこそが近代医学を暗黙のうちに支えていたのです。
病を、呪いや祟りと考え、除霊や祈祷に頼っていた病気観となんと大きな飛躍でしょう。でも本当にどこまで私達は変わったのでしょうか?
服だけ脱ぎ変えても、中味はあまり変わってないのかもしれない、しかし昔の様式や手順は消滅しているので、欲望や思いは無意識の世界を駆け上って、突如、姿を現すかもしれない。
親にとって、子は生きがいであると同時に尽きせぬ恐怖の源かもしれないのです。



Posted by 杉謙一 at 05:07│Comments(0)
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